ダークなお話(秘密追加)
2002年7月31日最近、日記をさぼっていたりょうちんです。
なんだか、ブルーなりょうちんです。
ふと、もしうちが今いなくなったら悲しんでくれる人はいるのだろうか、
だとか、
うちを必要としてくれる人はいるのだろうか、
だとか、考えてしまう。
やばすぎなほどマイナス思考かも。
って事で、友達に会ってきた。
いろんな事はなして癒された。
うちは、人に弱いってとこを見せるのが苦手。
とことん落ちることまで落ちないとはなさへん。
それが、友達にはもどかしいらしい。
ツライのが見てわかるけど、うちがはなせへんから。
うちも、別に意識してはなさへんようにしてるんじゃないねんけどね。
損な性格かも。
でも、そんなんも全部ひっくるめてうちはうち。
強くなりたい。
最近、この日記を見て改めて『命』の大切さに気づかされた。
うちの家系は結構病気になる人が多い。
うちは若干22歳やけど、8回お葬式に出席してる。
全部、身内。
ちっちゃいころは、全然意味がわかってなくって
田舎にかえってるんやってくらいの意識やった。
でも、中学生の時、叔父がなくなってお葬式に出席したとき、
初めて『死』とゆうものを切実に感じた。
すごいかわいがってくれたおっちゃん。
涙がとまらんかった。
自分でもビックリするくらい泣いた。
つらかった。
それからしばらくは穏やかやった。
お父さんが病気になるまでは。
ある朝、うちが中3やったときのこと、
起きたら、居間にはお兄ちゃんと少しボケが出始めてしたおばあちゃんがいてた。
おとうさんとお母さんはいなかった。
夜にお父さんは気分が悪くなって救急車で病院にいったらしい。
全然しらんかってビックリした。
でも、しばらく入院しただけで、お父さんは退院できた。
もう、大丈夫やと思ってた。
だってお父さんは今まで通りで何もかわんなかったから。
大好きなゴルフも行ってたし。
でも、それは完璧に勘違いやった。
確実にお父さんは病魔に侵されていた。
うちが、高3の時、お父さんは再び入院。
ちょっと調子がよくなって退院。
しばらく家で療養生活。
うちは、受験生で家にいてて一緒に買い物に行った。
そのとき、事件は起こった。
お父さんが倒れた。
うちの目の前で・・・
何がおこったのか全然把握でけへん。
救急車を呼んでもらって、
お母さんの職場に電話して、
救急車にお父さんと乗って(そのときお父さんの意識は戻ってた。)
・・・そこから後のうちの記憶はない。
お父さんに申し訳ない気持ちでいっぱいやったことは覚えてる。
買い物行くのすごい嫌やなぁって思ってた自分がいてたから。
なんか申し訳なかった。
今でも、そのときのこと思い出したら涙がでる。
でも、それ以上につらかったこと。
『お父さんの心臓が止まった』
病院から主治医の先生から電話があった。
入院中でよかったと感じた。
お母さんと二人で急いで病院にむかった。
電車を待ってる間、二人とも黙ってた。
なにかゆったら泣きそうやったから。
病院についたら管やらなんやらいっぱい付けられたお父さんがいてた。
集中治療室の前で待った。
看護婦さんや先生が走り回る。
岡山からいとこや親戚がくる。
うちは自体の重さに改めて気付く。
そのとき、うちは受験生で、
次の日受験を控えてて、
一人で帰るようにゆわれた。
うちはかえらんつもりやって
受験なんてどうでもよかったけど、
お母さんが「お父さんは試験うけてほしがってたよ。」ってゆって
そうゆわれたら何もゆえんかった。
つらかった。
お父さんは、先生たちのおかげで一命をとりとめた。
でも、起きると心臓に負担がかかるから
しばらく薬でねかされてたけど。
そのことがきっかけでうちは臓器提供カードを持った。
お父さんの病気は
・移植
・バチスタ手術
しか治療方法がないといわれてる。
ちょっと前、話題になった『拡張型心筋症』ってやつ。
今、移植手術で渡米する人はたいていこの病気やと思う。
だから、もしもの話、うちが脳死になったら、お父さんを助けられると思った。
お母さんにも持たした。
でも、実際、お母さんが脳死になっても、うちは脳死を認めれるかわからへん。
お父さんが薬で寝かされてた間は、脳死の状態と同じやと思う。
機械で生かされてるって状態。
生きる可能性があるのに命を切ることなんてでけへん。
たとえ、お医者さんが『死』を認めたとしても。
結局、お父さんは移植ネットへの登録を拒否して移植の可能性はなくなったけど。
そこまでしんどい思いして生きたくないってゆった。
確かに拒絶反応やマスコミのことやら実際するってなったら大変なこといっぱいあった。
最初の人のときはすごい問題になってたし。
でも、うちはもしうちが脳死になったり、死んだときには、使えるところは全て使ってほしい。
それで、助かる人がいてるんやったらうれしい。
なんかいろんな方に話とんじゃってごめんなさい。
お父さんは、最近、暑いから少ししんどそうで、
優しくしやなってわかってるのに出来ない自分がいてて、
気持ちを改めるために、自分自身のために、この日記を書きました。
ほんと後悔のない人生ってないと思う。
でも、後悔することって悪いことじゃないと思う。
後悔もするやろうけど、今を一生懸命生きたい。
甲子園ってゆう目標を持って毎日頑張ってる球児みたいに輝きたい。
なんだか、ブルーなりょうちんです。
ふと、もしうちが今いなくなったら悲しんでくれる人はいるのだろうか、
だとか、
うちを必要としてくれる人はいるのだろうか、
だとか、考えてしまう。
やばすぎなほどマイナス思考かも。
って事で、友達に会ってきた。
いろんな事はなして癒された。
うちは、人に弱いってとこを見せるのが苦手。
とことん落ちることまで落ちないとはなさへん。
それが、友達にはもどかしいらしい。
ツライのが見てわかるけど、うちがはなせへんから。
うちも、別に意識してはなさへんようにしてるんじゃないねんけどね。
損な性格かも。
でも、そんなんも全部ひっくるめてうちはうち。
強くなりたい。
最近、この日記を見て改めて『命』の大切さに気づかされた。
うちの家系は結構病気になる人が多い。
うちは若干22歳やけど、8回お葬式に出席してる。
全部、身内。
ちっちゃいころは、全然意味がわかってなくって
田舎にかえってるんやってくらいの意識やった。
でも、中学生の時、叔父がなくなってお葬式に出席したとき、
初めて『死』とゆうものを切実に感じた。
すごいかわいがってくれたおっちゃん。
涙がとまらんかった。
自分でもビックリするくらい泣いた。
つらかった。
それからしばらくは穏やかやった。
お父さんが病気になるまでは。
ある朝、うちが中3やったときのこと、
起きたら、居間にはお兄ちゃんと少しボケが出始めてしたおばあちゃんがいてた。
おとうさんとお母さんはいなかった。
夜にお父さんは気分が悪くなって救急車で病院にいったらしい。
全然しらんかってビックリした。
でも、しばらく入院しただけで、お父さんは退院できた。
もう、大丈夫やと思ってた。
だってお父さんは今まで通りで何もかわんなかったから。
大好きなゴルフも行ってたし。
でも、それは完璧に勘違いやった。
確実にお父さんは病魔に侵されていた。
うちが、高3の時、お父さんは再び入院。
ちょっと調子がよくなって退院。
しばらく家で療養生活。
うちは、受験生で家にいてて一緒に買い物に行った。
そのとき、事件は起こった。
お父さんが倒れた。
うちの目の前で・・・
何がおこったのか全然把握でけへん。
救急車を呼んでもらって、
お母さんの職場に電話して、
救急車にお父さんと乗って(そのときお父さんの意識は戻ってた。)
・・・そこから後のうちの記憶はない。
お父さんに申し訳ない気持ちでいっぱいやったことは覚えてる。
買い物行くのすごい嫌やなぁって思ってた自分がいてたから。
なんか申し訳なかった。
今でも、そのときのこと思い出したら涙がでる。
でも、それ以上につらかったこと。
『お父さんの心臓が止まった』
病院から主治医の先生から電話があった。
入院中でよかったと感じた。
お母さんと二人で急いで病院にむかった。
電車を待ってる間、二人とも黙ってた。
なにかゆったら泣きそうやったから。
病院についたら管やらなんやらいっぱい付けられたお父さんがいてた。
集中治療室の前で待った。
看護婦さんや先生が走り回る。
岡山からいとこや親戚がくる。
うちは自体の重さに改めて気付く。
そのとき、うちは受験生で、
次の日受験を控えてて、
一人で帰るようにゆわれた。
うちはかえらんつもりやって
受験なんてどうでもよかったけど、
お母さんが「お父さんは試験うけてほしがってたよ。」ってゆって
そうゆわれたら何もゆえんかった。
つらかった。
お父さんは、先生たちのおかげで一命をとりとめた。
でも、起きると心臓に負担がかかるから
しばらく薬でねかされてたけど。
そのことがきっかけでうちは臓器提供カードを持った。
お父さんの病気は
・移植
・バチスタ手術
しか治療方法がないといわれてる。
ちょっと前、話題になった『拡張型心筋症』ってやつ。
今、移植手術で渡米する人はたいていこの病気やと思う。
だから、もしもの話、うちが脳死になったら、お父さんを助けられると思った。
お母さんにも持たした。
でも、実際、お母さんが脳死になっても、うちは脳死を認めれるかわからへん。
お父さんが薬で寝かされてた間は、脳死の状態と同じやと思う。
機械で生かされてるって状態。
生きる可能性があるのに命を切ることなんてでけへん。
たとえ、お医者さんが『死』を認めたとしても。
結局、お父さんは移植ネットへの登録を拒否して移植の可能性はなくなったけど。
そこまでしんどい思いして生きたくないってゆった。
確かに拒絶反応やマスコミのことやら実際するってなったら大変なこといっぱいあった。
最初の人のときはすごい問題になってたし。
でも、うちはもしうちが脳死になったり、死んだときには、使えるところは全て使ってほしい。
それで、助かる人がいてるんやったらうれしい。
なんかいろんな方に話とんじゃってごめんなさい。
お父さんは、最近、暑いから少ししんどそうで、
優しくしやなってわかってるのに出来ない自分がいてて、
気持ちを改めるために、自分自身のために、この日記を書きました。
ほんと後悔のない人生ってないと思う。
でも、後悔することって悪いことじゃないと思う。
後悔もするやろうけど、今を一生懸命生きたい。
甲子園ってゆう目標を持って毎日頑張ってる球児みたいに輝きたい。
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